木村 智映 「練習」その1
「あの学校の大将は、高校から剣道を始めたらしいよ。」
「巨人の上原選手は、中学時代は陸上部だったみたい。」
もっぱら私の耳には選手歴、すなわち練習してきた時間というものが良く入ってきました。
それだけ気になる部分だったと言うことでしょう。
どちらかと言えば練習には必死に取り組む方だったので、その練習量の蓄積が必ず結果に繋がると信じていました。
小学4年生で始めた野球では、同い年でも1,2年生から続けている子の方が上手い。
なぜもっと早く始めなかったのかといつも悔やんでいました。
中学で始めた剣道は、当然小学生から続けている同級生の方が強い。
小学生から道場に所属していれば自分はもっと強くなれたはずなのに...。
そんなことをいつも思っていた記憶があります。
やっている奴が強い。
やった分だけ上手くなる。
努力こそ美徳。
説明書通りの脳筋野郎ですね。
とろが、高校入学と同時に剣道を始めた先輩で、卒業時には恐ろしく強くなっていた方がいました。
取り組んできた期間の長さ=実力(成績)
この等式が成り立つ事など決して無いはずです。
しかし、
「至らぬは、努力が足りない結果」
などという結論で納得していたのは、
自分の視野の狭さを認めようとしない言い訳。
なんとお恥ずかしい!
考えることをやめた人間に成長など有り得ないのに、何故これを良しとして生きてきてしまったのか。
と、昔の自分に問いたいです(笑)
それでは何故その様な事を盲信していたのか。
納得してしまい、改める事ができなかったのか。
そこには大きな勘違いがあったからなんです。
筋(肉を鍛える)トレ(ーニング)
と
(動作の上達の)練習
は違うもの、ということに気が付いていませんでした。
見ていたものが
「抵抗する事への満足感」
だけ。
厄介なんです。
目先の謎の達成感。
頑張ると、脳が満足してしまうんです。
よく頑張った!
こんなにボロボロになった!
ほら、血も滲んでるよ!
しかし、よく考えてみてください。
ある程度しっかりとスポーツに取り組んだことのある方はわかると思いますが、
動くことに対して抵抗(空気、水、地面、衣服など)が無い方がパフォーマンスを発揮する事ができます。
誰もが耳にするし口にする「リラックス!力まないで!」。
"力み"というのもパフォーマンスを下げる抵抗の一つです。
動作においては、余分な抵抗を限りなく無くす事が練習の目標の一つであるはずなのに、
"よく頑張った"
って過剰な労力を割かなければなし成し得ない動作を反復しているだけであり、
抵抗を無くす動作の練習が、
いつのまにか
抵抗を繰り返す練習
という本末転倒な結果に着地しているのです。
足りなければ補え。
補って辛いなら、耐えて尚補い続けろ。
地獄の脳筋Deathスパイラル。
"目標"といえば
"見つけ方、見つからない、見失う"
とGoogle先生は教えてくれますが、
やはり目標に向かっていない練習を繰り返しても、成果が出るはずがないのです。
かくして、
取り組んできた期間の長さ=実力(成績)
などという言い訳と共に過去の自分を論破したところで、今の仕事に繋がってくるわけですが...。