木村 智映「パソコン、スマホ...」その2

光も何もよく分からん私でも、適当に撮った写真の被写界深度や明度、色合いまでアプリで変えられるのです。

お菓子食べながら。


しかしそんな写真を"作った"後にはきっと首や肩が凝っているでしょう。


眼を磨く爽やかさなど、分かっていませんから。



便利になるほど、

誰でも

簡単に

同等な

モノが作れてしまうのです。


身体も感覚も無視して上等っぽい何かができてしまうのは、もはや人間の退化ではないかと思っています。


バイスがどの様な変化をしていくかは、

今の流れを見る限り人間の退化を加速させていくのでしょうね...。


ですから皆さん、道具に振り回されない様にお気をつけください。

バイスの進化は悪い事ではありません。

勘違いしてしまう人間が悪いのですから。


肩肘張りながら写真編集をしても

光は分かりませんし、


顎を突き出しながら音符を並べても

音は分かりません。


電子書籍の情報と

紙媒体の情報とは、入ってくるものが何か違うのです。

(↑この辺りは、内藤トレーナーの解析を待つばかりです...!!)


自然を、自分をありのまま見ることができて初めて感覚に寄り添うことができる、その様に魯山人の言葉を解釈しました。



私はこの記事を出来る限り良い姿勢で作成していますが、

文字の形も筆圧も、伝わる事はありません。

影響があるのは、せいぜい拙い言葉選び位でしょうか。


道具の前に自分磨き!

ホント、まずはそこからですよねm(_ _)m

木村 智映「パソコン、スマホ...」その1

パーソナルコンピューター、すなわちパソコンという存在が世界を大きく変えました。


複雑な計算を一瞬にして解く

「計算」

大量の文書を一瞬で編集、複製する

「文書作成」

使ったことも無い楽器の音で曲を作る

「作曲・演奏」

何色でも、どんなに精密な線でも描ける

「作画」


こんな事が誰でもできるのですから、もはやパソコンの無い世界など考えられません。


...否、パソコンの普及率は緩やかに減少しているのです。


何故減ったかはご存知の通り、今皆さんが見ているであろうそのスマートフォンタブレットの普及が一因だろうと考えられます。


と、この様に私達は

情報処理装置=デバイス

が置き換わることによってその便利さを享受して、何かを作り上げてきました。


人類の歴史を辿ると、デバイスと記録技術の変化の歴史を見ることもできます。


紀元前3万年頃:壁(画)

紀元前3前年以前:粘土板、パピルス(文字)

紀元前1300年以降:青銅器、木簡・竹簡、羊皮紙...etc

200年頃:紙

700年頃:木版印刷

(1500年頃:鉛筆)

1820年代:写真(光)

1877年:レコード(音)

1926年:映画フィルム(音+光)

1956年:ハードディスク(デジタル)

....など。


壁に画を描いて残していた記録は、今はスマホをポチポチしてインスタに上げる様に進化(?)したんですね。


そしてほぼ全てのデバイスの扱いには技術を要し、画家、書道家、写真技師、音響技術者など様々な形で専門家が存在します。


優れた視覚や聴覚を持ち、精密に指先や身体を操り、優れたその感性をさらに増幅させる物として、デバイスを用いていたのがその専門家達です。


"

われわれはまず何よりも自然を見る眼を養わなければならぬ。これなくしては、よい芸術は出来ぬ。これなくしては、よい書画も出来ぬ。絵画然り、その他、一切の美、然らざるなしと言える。

(芸術家:北大路魯山人)

"


"

朝、目が覚めたらバルコニーから青空を撮る。

眼を磨くんだよ。毎朝歯を磨くみたいに。

(写真家:荒木経惟)

"


"

音楽とは、精神と感覚の世界を結ぶ媒介のようなものである。

(作曲家:ベートーヴェン)

"


人選がヤバめですが(笑)

身体を大切にしているのが言葉の慎重さから伝わってきます。


どんなデバイスを用いても、極める程に感覚が大切になるし身体が大切になるんですね。



しかし、今はどうでしょうか....。


木村 智映 「練習」その2

筋トレブーム。

我慢強い人が褒められる時代。

ついに俺の時代が...って違う!!!(笑)


筋肥大やシェイプアップなどのボディメイク、姿勢改善から関節痛の緩和まで様々な恩恵を受ける可能性をもつ筋トレ。

しかし筋トレですから、負荷に対して抵抗する事が前提です。


抵抗を無くすのが動きの練習

抵抗を繰り返すのが筋トレ


筋トレは筋肉の破壊が目的

筋トレの仕方しか知らないと破壊の仕方しか身につかない。


すなわち、日常生活に落とし込むその名も

「フィットネス」

が筋トレだけでは到底賄いきれないのはお分かりかと思います。


物を持てば上腕二頭筋

歩けば腓腹筋

いちいち効いてしまったら、疲れちゃって仕方ありませんから!


そんな人は

物を持てば肩こりに

歩けば膝痛に

なりますよね。


ちなみにストレッチも筋(肉をエキセントリックに収縮させる)トレーニングです。


その人に今必要なのは、

皮膚

筋膜

筋肉

関節

姿勢

感覚

意識

動き

などの、どの要素なのか。

フィットネスである為に考慮するべきたくさんの視点が必要になるのです。




春に向けて新たな目標を立てる方も、

いよいよ動き始めた方もいらっしゃるのでは?


私もスマホで記事を書きながら

「これからが練習だ!」と勢い勇んでいたら、

三角筋が疲れていた訳であります(笑)


スマホの持ち方から、練習開始ですm(_ _)m

木村 智映 「練習」その1



「あの学校の大将は、高校から剣道を始めたらしいよ。」


「巨人の上原選手は、中学時代は陸上部だったみたい。」


もっぱら私の耳には選手歴、すなわち練習してきた時間というものが良く入ってきました。

それだけ気になる部分だったと言うことでしょう。


どちらかと言えば練習には必死に取り組む方だったので、その練習量の蓄積が必ず結果に繋がると信じていました。


小学4年生で始めた野球では、同い年でも1,2年生から続けている子の方が上手い。

なぜもっと早く始めなかったのかといつも悔やんでいました。


中学で始めた剣道は、当然小学生から続けている同級生の方が強い。

小学生から道場に所属していれば自分はもっと強くなれたはずなのに...。


そんなことをいつも思っていた記憶があります。


やっている奴が強い。

やった分だけ上手くなる。

努力こそ美徳。


説明書通りの脳筋野郎ですね。


とろが、高校入学と同時に剣道を始めた先輩で、卒業時には恐ろしく強くなっていた方がいました。


取り組んできた期間の長さ=実力(成績)


この等式が成り立つ事など決して無いはずです。

しかし、

「至らぬは、努力が足りない結果」

などという結論で納得していたのは、

自分の視野の狭さを認めようとしない言い訳。


なんとお恥ずかしい!


考えることをやめた人間に成長など有り得ないのに、何故これを良しとして生きてきてしまったのか。

と、昔の自分に問いたいです(笑)



それでは何故その様な事を盲信していたのか。

納得してしまい、改める事ができなかったのか。

そこには大きな勘違いがあったからなんです。


筋(肉を鍛える)トレ(ーニング)

(動作の上達の)練習

は違うもの、ということに気が付いていませんでした。


見ていたものが

「抵抗する事への満足感」

だけ。


厄介なんです。

目先の謎の達成感。

頑張ると、脳が満足してしまうんです。


よく頑張った!

こんなにボロボロになった!

ほら、血も滲んでるよ!


しかし、よく考えてみてください。


ある程度しっかりとスポーツに取り組んだことのある方はわかると思いますが、

動くことに対して抵抗(空気、水、地面、衣服など)が無い方がパフォーマンスを発揮する事ができます。


誰もが耳にするし口にする「リラックス!力まないで!」。

"力み"というのもパフォーマンスを下げる抵抗の一つです。


動作においては、余分な抵抗を限りなく無くす事が練習の目標の一つであるはずなのに、


"よく頑張った"


って過剰な労力を割かなければなし成し得ない動作を反復しているだけであり、

抵抗を無くす動作の練習が、

いつのまにか

抵抗を繰り返す練習

という本末転倒な結果に着地しているのです。


足りなければ補え。

補って辛いなら、耐えて尚補い続けろ。

地獄の脳筋Deathスパイラル。


"目標"といえば

"見つけ方、見つからない、見失う"

Google先生は教えてくれますが、

やはり目標に向かっていない練習を繰り返しても、成果が出るはずがないのです。


かくして、

取り組んできた期間の長さ=実力(成績)

などという言い訳と共に過去の自分を論破したところで、今の仕事に繋がってくるわけですが...。

井上 雄 「2019」その2

プライベートであまり関係ない事かもしれませんが、しばらく離れていた空手の稽古、行事に去年から少しずつ顔を出すようになりました。


空手の稽古はもちろん苦手であまり手を出してなかった型や武器術の稽古、トレーニングも自分の知識でやっていたものを月一ぐらい教えを乞いに出稽古も考えています。それ以外にも他分野の習い事を始めてみようかとも思っています。自分自信と改めて向き合い自分を掘り下げたいと思いました。


トレーナーとしての活動としてはセッション数を増やし少しでも多くの人々と関わりを持ちたいと思っています。

トレーナーという仕事を通じ自分自信を高めていくためにも経験というものは何よりも自分の財産になると思います。

その蓄えた財産を還元という形でお客様に良いものとして提供できたら何よりだと思います。


冒頭(その1)に述べた頭を悩ませることは当時は辛く思いましたが今はすごくいい経験になり大事なプロセスだったのではないかと思います。

何よりもあの経験でまだまだ未熟なところが現在の自分であり何よりもまだまだ弱いなと再確認できたこと。

この弱いなという感覚……坊主頭で道着とジャージしか着ない3年間過ごした内弟子時代を思い出しました。

何だか懐かしい心地よい気分でした。。。


「弱さを知り、それを認めなければ強くなることはできない。それを繰り返すことが稽古」


師の言葉です。


過去の自分よりも進化とともに変化していきたいですね。


今年もよろしくお願いいたします。


井上 雄 「2019」その1


今年に入ってからすでに3週間経ちました。。この間、新年を迎えたばかりだと思ったのですが、あらためて時間の流れを早く感じます。


去年は色々と自分をとりまく環境が大きく変わり、新しいことだらけで色々と悩まされる事や考えさせらる事も多く、自分の心の弱さを思い知りました。当時は本当に頭を抱えました。


1番頭を抱えたのは採用担当の仕事を初めて受け持った時です。けっして簡単なものでもなく責任の多い業務だとは思ってましたが自分が考えていた以上に困難でした。自分の人生においてたくさんの面談をしました。そして思った以上に目の前の人間が見えてないことに気づかされました。


人を見るとき、これまでのプロセスで出会った人々のイメージから生じる「偏見」がどうしても自分にはつきまとってました。


「こういう方は、これまでこうだったから、きっとこんな人ではないか?」

目の前の人を過去のタイプに「すぐ」当てはめて、「こんな人だろう」と偏見で決めつけて面接していた感じがありました。


相手の話し方やしぐさ、態度、対応。

そういった細かい情報から、相手の持っている力量や情報を掴まなければいけないところをまったく見えてなかったと思われます。

それらが見えない人は人を採用するような人事業務にあまり向いていないのではないかと思いました。


採用側は求職者を見ているつもりでも、実はいつの間にか見られているのではないかと、見透かされてるんじゃないか、自分の方が面接されてるんではないかという感覚にも陥りました。

しばらくは人を見るのが嫌で話すのも嫌な時もありました。


パーソナルトレーナーのカウンセリングやセッションの時にもいえることですが相手が何を求めているか、それを引き出すためにも相手の心の真意を掴むのがいかに重要なことか思い知らされました。


偏りがないものの見方、バランスのとれた考え方、自分の考えはしっかりと持ちながらも、相手を受け入れながら共感する見方が大事なのかなと自分は思いました。


しかし、それらをしっかりと抑えていれば正しい見方なのか??っと思うと必ずしもそうではないような気もします。

これも偏見でしょうか?笑


が、、、実はそれに対してはまだはっきりとした答えが見つかってません。

その答えに辿り着くためにも今の現状から少しでもたくさんの人と関わりを持ったり苦手なものに触れてみる必要があるのかなと思いました。


               ・・・その2へつづく

木村 智映 「2019」その2

新年や新元号に伴って

(一応、元号にも意味や願いが込められていますし)

新たな目標を立てる方もいらっしゃるはずですが

ただ積み重ねられていくだけの数字だと思うと

そこに縛られる必要はありませんよね。


「新年の目標なんて意味無いぜ!」

と言い切るギラギラ経営者的な方も

おりますし。


かといって

1年を区切りとする情緒を大切にするのも

心身のバランスをみるうえで捨てがたいですよね。

宇宙単位でみたら1年というのは重要な区切りなのですから。


お客様にも

今年の目標や方向性を確かめますが

「今年はこれ!」

と年としての時間を意識される方や

「私はこれまで通り私の中の目標を!」

など個人の中の時間で考える方

もいらして、様々です。


トレーナーの私は皆様それぞれの目標の立て方に合わせてプログラミングしていくのみです。

しかし、間違った時間軸に乗ってしまってる方へは軌道修正をする。

それもまた私なりのパーソナルトレーニングです。




今年の私の目標は

「人の為になる」

としました。


年単位で区切った方が

勉強を計画しやすいのと

社内で共有しやすいですよね。


西暦の区切りというタイミングで、

自分の時間が何を軸にして流れているのか。

お客様とのお話を通して

様々な時間の見方を知り

考えるいいきっかけになりました。


空間を意識した仕事ばかり考えていましたが

時間の云々を少しだけかじってみましたので

考慮すべき次元が増えた気がします。


空間...

時間...

もう少ししたら、時空に繋がるのでしょうか・・・(←多分よく分かっていません(笑))