木村 智映 「健康」その1
「健康」というものが、私たちの何を示すのかを改めて考え直してみました。
「健康」が、時代の移り変わりとともに単に「心身共に不調がない」という事を示すだけではなくなりました。
そこで気がついたのは、
自らの健康を探求する事は
生きていく上で
大切なものを考える
きっかけを与えてくれる
という事でした。
■"健康"診断
最も馴染みがあり、簡易的に健康か否かを判定するのは
「健康診断(定期検診)」
という方も多いのではないでしょうか。
自らの意思で受けることも出来ますが、
ご存知の通り、被雇用者であれば毎年
健康診断を受けていることと思います。
日本において会社が人を雇用する場合、
労働安全衛生法の元に健康診断を受けさせる義務があります。
健康診断は明治の終わり、今から約100年前に国民病であった結核対策から始まりました。
結核菌は約9,000年前の人骨から見つかっていますが、感染症として蔓延し始めたのは明治の産業革命からです。
元の人口分布を変え、人の密集する場をつくり、流行を引き起こした結核。
「亡国病」や「貧乏病」といった俗称からしても、いわゆるただの病気ではなく、社会的・経済的な背景を含んだ病気だとわかります。
話は戻って、
その結核対策として始まったのが健康診断であり、
それを義務付けているのが国だとすると、
社会が引き起こした健康問題が
社会の発展に影響を及ぼすので
社会が責任をとって義務とした。
という様に考える事もできます。
健康が、生物医学モデルの限界を迎え、生物心理社会モデルへと移ってきたと言われています。
医療や公衆衛生だけではなく、心理面、社会生活に及ぼす影響へのアプローチです。
健康診断は
生物医学的な健康状態を測るマーカー
の役割をしますが、あくまで一側面であり
それが"健康"なのかといわれれば、それだけとは言いきれないのです。
■"健康"格差
近代西洋医学においては患者の疾患を生物医学的にのみ理解しようとした為、病気の原因やその性質などの理解が十分でなかったといいます。
今では当たり前ですが、
病気の発病や進行に関わるものは
生物医学的なものだけではなく、
社会的・経済的な要因による場合もあります。
いくら結核を治療しても、
公衆衛生の改善
が無ければ解決しないだろうし、
いくら高度な医療技術を開発しても、
お金の問題を解決
しなければ治療を受けることも出来ません。
以下のデータをご覧下さい。
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「大都市内部の地域別(主に行政区分)死亡率の検討」
a.大都市内部には死亡率の地域差が存在し、その地域差は、性・年齢層別には中壮年期男子で最も顕著であること
b.大都市内部には、中壮年期男子死亡率が全国より高い地域が、小さくなく存在すること
c.死因別には、脳血管疾患や肝硬変で地域差が著しいが、それは主要死因のほとんどで認められること
d.中壮年期死亡率は、低所得階層が密在したり、社会病理現象が多発したりしている地域ほど高いという関係にあること
(山崎,1989)
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以上の研究を深化させる目的で行われた研究から、
イメージしやすいものを抜粋します。
→男子死亡率は、いわゆる下町地域で一般に高く、台東、荒川、江東、足立の4区は全国よりも有意に「高い」
→男子死亡率は、いわゆる山の手地域で低く、世田谷、杉並、練馬、目黒の4区は有意に低い
という事が明らかになったそうです。
この研究の時点でデータが少なかったそうなので、参考程度にしておきます。
これは社会全体での問題です。
少なくとも、2018年現在においても経済的格差が無くなっているとは言えません。
私たちには確実に
"健康"格差があるのです。