木村 智映 「こだわり」その2
「我々は他人の知識によって物知りにはなれるが、賢くなるには我々自身の知恵によるしかない。」モンテーニュ(哲学者:1533-1592)
外から取り込む時点では"知識"です。
断片的なもの。
それを活かせる状態にして、初めて"知恵"に昇華される。
というような解釈でおります。
いずれにしても、実用的なレベルに持っていくには部分的な搾取ではダメ。
それらが繋がりを持つまで勉強や、経験をする必要があるんですね。
そこから考察すると、
こだわりのある男とは、
地道な努力の上にある輝き
の事をいう様です。
「こだわりのある男作戦」はまだ終わっていません。
この分析からすると、こだわることを目的にすると失敗します。
探究心をもって取り組み続けた事の中にこだわりがあるはずなのです。
髪型、服装、腕時計、カバンなど、いかにもこだわりの対象になりそうな事に興味はありません。
ここに手を出せば10代の二の舞になるでしょう。
今、私の生活を占めているものは何か。
仕事です。
パーソナルトレーニングです。
お客様に喜んでもらう為に
↓
結果をだす
↓
そこには日々の勉強が必要であり
↓
それが後にこだわりと呼べるものになる
↓
こだわりのある男、完成
こんな邪心がベースにあると、
何年掛かるか、、分かりませんが...。
木村 智映 「こだわり」その1
木村 智映 「プロフェッショナル」その2
木村 智映 「プロフェッショナル」その1
井上 雄 「プロフェッショナル」 その2
報酬を受け取るために試合をし、求められたことをしなければいけないのが
「プロフェッショナル」
試合で普段の練習の成果をためすために、お金を払って試合に出るのが
「アマチュア」
この差はスポーツのたとえだけではないと思います。
一つ参考になるものを調べたので、引用します。
「アマチュア」は仕事をしていない状態であり、「プロ」は仕事をしているのです。
「儲かっていないラーメン屋はプロではないのか?」
客が満足するラーメン屋は儲かるはずです。
味や店構えを含めたトータルで満足させられないから儲かっていないのです。
味だけが旨いのであれば、それはただのラーメン職人であり、ただのラーメンマニアです。
プロのラーメン屋は、味だけでなくラーメンを食べる空間も提供できるからプロであり、公のためになるのです。
結局プロはそれで飯を食う事ができるので、
「飯を食える」=「プロ」
と思われがちですが、そうではなく
「プロ」だから「飯を食える」ということなのです。
ラーメン屋の例えでしたが、
自分は今、トレーナーという仕事と通じていることだと思っています。
「プロフェッショナルは極めて高度な知識や技術に基づいた職能を有していなければならないということ。」
自分のパーソナルセッションの料金はお客様が納得できる、価値のあるものなのか?
お客様から求められているものを提供できているのだろうか?
それらを自分はできてるのだろうか?
できていないのならプロとして仕事をするべきではないのではないかと悩む事があります。
あらためてプロとして仕事をするとはどういうことなのか、これを機に、今一度自分を見つめ直したいと思います。
井上 雄 「プロフェッショナル」 その1
よく聞くプロという言葉。
その言葉をどう捉えますか?
自分はプロと聞くと、そのカテゴリーに特化した高い知識、技術、経験を持っている人の事。
また、プロというイメージを強く持って、24時間365日、その道を極めるための日々を送っている方の事だと思います。
プロの対となる言葉でアマチュアという言葉もあります。
アマチュアと聞くと全てにおいてのスキルがプロと比べると劣っており、プロほどの高い志を持ち合わせてないイメージでしょうか。
調べてみるとこういう言葉がありました。
「プロフェッショナルは極めて高度な知識や技術に基づいた職能を有していなければならない。」
簡単かもしれませんが、プロフェッショナルとはそういうことなのではないかと思います。
スポーツの世界にもプロとアマチュアが存在します。
その違いとはなんなのでしょうか?
自分自身、空手という武道をやってきました。スポーツとは言いがたいですが、空手にも大会などの競技が存在するため、試合というスポーツ要素が強いものを多く経験してきました。
自分の体験談として思ったプロとアマチュアの違い、
それは…
まず報酬が発生するかしないか、
ここは大きいのではないかと思います。
プロスポーツ選手は報酬を得るために、競技を仕事として、お金の対価になるように取り組みます。
アマチュア選手は、趣味・生きがいの一つとして、スポーツに取り組んでいる方がほとんどだと思っています。
プロは自分のこともそうですが、報酬が発生する試合を観に来るお客様、またはスポンサーなどのために試合をするということ。
アマチュアは自分のためだけに試合をするということ。
報酬を受け取るために試合をし、求められたことをしなければいけないのが
「プロフェッショナル」
試合で普段の練習の成果をためすために、お金を払って試合に出るのが
「アマチュア」なのです。
木村 智映 「トレーナーとは?」その2
■トレーナーの役割
フィットネスクラブやマイクロジムなどで
身体作り、健康増進などの指導をするのが
パーソナルトレーナーです。
プロスポーツや学生スポーツなどの
競技力向上を目的とした指導をするのが
スポーツトレーナーです。
また、犬のしつけや訓練を行うのが
ドッグトレーナーです。
いずれにしても
その目的に対しての指導者であるため
〇〇トレーナー
と冠のついた専門家は要求される知識や技術をクライアントに教える必要があります。
前後してしまいますが
私はパーソナルトレーナーであり
先に述べたものはその感想です。
パーソナルとは個人と訳せますが
個人とはしばしば以下のように考えられています。
"「社会は個人から成り立っており、個人があって初めて社会がある」とか、「個人は社会の産物であるから、まず社会があって個人はその中で育つ」"
どちらも、個人は社会と対比される関係であり
個人をみることが
パーソナルトレーナーだとすれば
その人の社会をみることも
パーソナルトレーナーの役割
ということになります。
社会をみる、とは例えば「健康」です。
パーソナルトレーニングを受けることで健康になれると謳うのなら、それは既に身体的な見方だけでは賄うことは出来ません。
パーソナルと名のつくトレーナーならば
要求される知識・技術は
非常に広範囲になる事から
逆に考えると、その役割は多岐にわたると考えられます。
いわゆる"未病"を改善する事で
医療費の削減に繋がるなら
パーソナルトレーナーの働きは
その一助にもなり得ます。
■トレーナーとして私に出来ること
痛みをとるとか
姿勢を良くするとか
筋肉を大きくするなど
私が対応できる範囲では喜んでもらえることは沢山あります。
しかし、対応できない範囲は対応できません。
医学的に適応外という意味ではなく
分からないものは分からないし
分からないものが何なのかも分かりません。
トレーナーという立場にいることで
応えられない要望に直面したとき
応えられないものが何かを知ります。
その応えられないを解決するために勉強と研鑽を積み重ねていくことが
今私がトレーナーのスキルを上げる
最大のモチベーションです。
いつかもっとレベルを上げた時この投稿を読み返しても
「まだまだ甘いな」
と思っていられるように
「最も学ばなければいけない人」
すなわちトレーナーとして、学び続けていきます。
終わり